スペシャルコラム:ストリートアートによる町おこし -RoamCouch、6年の軌跡-


RoamCouchが故郷である岐阜県安八町に壁画を描き始めてから6年。壁画は現在、岐阜県安八町で9点、隣町の大垣市と瑞穂市で5点、全部で14点見ることができます。今回、”ストリートアートによる町おこし”と題して、彼の故郷での壁画制作に焦点を当てたコラムを皆さまにお届けしたいと思います。RoamCouchの取り組みをより深く知ることのできるコラムですので、是非お読みいただけたら嬉しいです。

ストリートアートによる町おこし -RoamCouch、6年の軌跡-

「いろんな人が結びつくきっかけがアートであれば、素敵なこと。地域の活性化にもなるかなと」
ロームカウチは、メディアの取材を終えると、再びスプレー缶を握り、精密にカットされたステンシル(型紙)にスプレーを吹きかけ始めた。生まれて初めて見るであろう壁画制作の様子を体操教室に通う子どもたちが興味津々で見つめている。壁にステンシルを張り、スプレーを吹きかけ、壁からステンシルを剥がす。この工程を数時間繰り返した後、ロームカウチは筆を手に取り、壁画の右下にサインと制作年を丁寧に書き加えた。壁には、桜、紫陽花、カエデ、牡丹といった四季折々の模様が施された着物を着る日本美人が描かれている。ロームカウチによる11作目の壁画『四季(Four Seasons)』が、三日間の制作期間を経て、故郷である岐阜県安八町のOKB体操アリーナに誕生した。

2014年、ロームカウチ、本名小川亮は、町おこしを目的としたプロジェクト「エモーショナル・ブリッジ・プロジェクト(Emotional Bridge Project)」を立ち上げ、故郷である岐阜県安八町を中心に壁画を描いている。ロームカウチは、ストリートアーティストとして、日本、米国、ヨーロッパを中心に幅広く認知されているが、現在に至るまでの道程は困難を極めるものだった。

18歳で地元のデザイン会社に就職。デザイナーとしてのキャリアを歩み始めるが、過度な長時間労働により大病を患い、しばらく床にふす生活を余儀なくされた。原因不明の手足のしびれなどから、一時は自力で立つことさえままならなかった。そんな社会と断絶され死さえも意識する生活の中で、ロームカウチにとって妻の支えが救いだった。「好きなことやってみたら」、この妻の一言をきっかけにロームカウチは、子どもの頃からの夢であったアーティストになることを決意する。アーティスト名は、RoamCouch(Roam:さまよう、Couch:椅子)と命名。闘病中もうろうとする意識の中で、突如目の前に現れ、苦痛を和らげてくれたさまよう椅子にアーティスト名は由来する。

RoamCouchの出世作、『Rainbow inc.』 (2014)

小川亮からロームカウチへ

2011年よりロームカウチ名義で本格的にアーティスト活動を開始し、ネット上で作品を公開すると、見る者を選ばない美しくロマンチックな作風がアートファン間ですぐに評判となった。限定プリント『レイボーインク(Rainbow inc.)』(限定100部)発売時は、予想を上回る人気の高さから、一時的にサーバーがダウンする事態となった。

2012年から現在に至るまで、世界各地のグループ展(日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、ノルウェー、マレーシア)に精力的に参加。2014年には、米国ニューヨークのUnder The Bridge Galleryにて初個展「A Beautiful Life」を開催し、ソールドアウトを記録した。2019年に入り、ハワイ・オアフ島で毎年開催されている芸術イベントPOW! WOW! HAWAIIに招待され、壁画『星に願いをハワイ(When You Wish Upon A Star – Hawaii)』をカカアコ地区に完成させた。

人気の高まりとともに、ロームカウチのステンシル技術にも、注目が集まるようになる。手切りではなく機械を使ってステンシル(型紙)を作っているのではないか、という在らぬ疑惑が浮上。制作風景の動画公開によって、議論は終焉を迎え、ロームカウチの卓越したステンシル技術の証明がなされた。比較的シンプルな表現を主流とするステンシルアートにおいて、五十版を超える手切りのステンシルから制作されるロームカウチの繊密な作品群は、ステンシルアートの既成概念を再定義した。

プロジェクト立ち上げ初年度に誕生した『Rainbow Inc./Brooklyn Bridge』 (2014)

プロジェクトのはじまり

2014年、ロームカウチは、町おこしを目的としたプロジェクト「エモーショナル・ブリッジ・プロジェクト」を立ち上げた。プロジェクトの始まりは、ロームカウチが青年期に目にした活気にあふれる商店街がシャッター通りへと姿を変えていたことに起因にする。町の活気衰退に危機感を抱いたロームカウチは、北欧のアートプロジェクトを参考にストリートアートによる地域活性化に取り組むことを決断する。故郷である岐阜県安八町を中心に壁画を描くことで、県外はもとより海外からのアートファンの呼び込みを行うことが、プロジェクトの主な狙いだった。

ロームカウチが最初に取り組んだことは、壁画を描く場所の探索だった。他国と比較すると日本で合法的に壁画を描くことは容易ではない。合法的に壁画を描く難しさを認識しつつも、ロームカウチは壁画を描きたい場所を見つけると、躊躇することなく飛び込みで壁の所有者を訪ね交渉を行った。疑いの目を向けられることもあったが、ロームカウチが壁画の下絵を見せると、皆不思議と笑顔になり、壁画を描くことを快く了承してくれた。「許可を得て壁画を描くことは大変。しかし、絵力によって理屈を覆し体制を変革できれば、それこそ絵描きにとって本懐だと思う」、この言葉どおりロームカウチは、絵力によって表現の場を次々と獲得していった。

RoamCouchの母校結小学校で誕生した『We Are The World 』(2015)

プロジェクトがもたらしたモノ

新作壁画が誕生する度に、彼のプロジェクトを支援する人たちの輪も広がりを見せていった。安八町立結小学校は、卒業生であるロームカウチに壁画を描く場所を提供してくれ、地元企業の協進建設は、壁画を描くための足場を毎回無償で組んでくれている。テレビ、新聞、雑誌等、国内外のメディアにも取り上げられるようになり、2017年にはロームカウチの地域への取り組みが評価され、NHKの朝の情報番組「おはよう日本」で特集が組まれるまでになった。プロジェクトの知名度向上とともに、ロームカウチの壁画を一目見ようと、県内は勿論のこと、東京や大阪など遠方からアートファンが安八町を訪れるようになった。また、地元の市民ランナーや自転車愛好家の間では、ロームカウチの壁画巡りが盛んに行われている。

エモーショナル・ブリッジ・プロジェクトは、地域住民、特に子どもたちのアートの触れる機会の拡大にも貢献している。子どもたちは、学校の授業で芸術に触れる機会はあるものの、絵を描くことを生業とするアーティストの作品に触れる機会は少ない。特に地方の子どもたちにとって、ストリートアートのような新しい分野のアートに触れる機会は、意図しない限り訪れない。子どもたちのアート飢餓状態を打破すべく、ロームカウチは2015年、母校の結小学校で壁画『ウィ・アー・ザ・ワールド(We Are The World)』を制作した。

制作現場には、多くの子どもたちが訪れ、様々な反応を見せロームカウチを質問攻めにした。生まれて初めて目にするアート制作現場、制作過程、そして愛情に満ちた壁画。彼らのアートへの興味を喚起するには、十分な材料が揃っていた。毎日の登下校で目にするロームカウチの壁画は、子どもたちとアートの距離を縮め、アートに触れる楽しさや面白さを知る機会を創出したのではないか。また、アート教育の観点から見ても、価値ある学びの教材として十分な役割を果たしていると考えられる。

神社の敷地内に誕生した『夜奏 / Midnight Recital』(2016)


ロームカウチのプロジェクトは、地域における人と人のつながりを強めるプラットフォームも創出した。2016年に制作された壁画『夜奏(Midnight Recital)』は、その典型的な例として挙げられる。同作は、合法的に壁画を描くことが最も困難とされる神社の敷地内で誕生した。『夜奏』は、ロームカウチから住職、住職から地域住民へとプロジェクトの概要が共有され、多くの人たちの理解を得て完成に至った壁画である。住職により実施された地域住民対象の説明会では、絵を描く場所が神域であるがゆえに厳しい意見が挙がり、急遽壁画イメージの変更が行われた。壁画完成までには多大な労力と時間を要したが、ロームカウチの活動は、地域住民が集まり、意見を交わし、決断を下す過程を生み出した。地域のつながりの希薄化が叫ばれる日本において、彼のプロジェクトにより生まれた紆余曲折の過程は、地域における人と人とのつながりを深める機会を創出したと考えられる。

某テレビ局の生放送中に完成した『Rain Caller』 (2019)

プロジェクト立ち上げから6年

エモーショナル・ブリッジ・プロジェクトの立ち上げから6年。紅色の幕が下ろされ、新作壁画が披露されると、芸能人から拍手と喝采が起こった。某テレビ局の生放送中にロームカウチによる14作目の壁画『レイン・コーラー(Rain Caller)』が、豊臣秀吉が一夜にして築いたとされる墨俣一夜城近くで誕生した。アナウンサーに感想を問われとロームカウチは、「そのとき(かつて城下町だった岐阜県大垣市墨俣町)の風情を復活させたい、元気を取り戻してほしいと思い制作しました」と答えた。

プロジェクトの成熟とともに、メディアからの注目度も高まり、ロームカウチの壁画を一目見ようと、全国からアートファンが岐阜県安八町を訪れるようになった。また、子どもとアートの距離を縮め、アート教育という観点からも大きく貢献している。加えて、地域における人と人のつながりを強めるプラットフォームになり得ることも提示した。病という漆黒の闇の中にいたロームカウチは、アートに救われ、アートを通じて、今生まれ育った故郷に恩返しをしている。ロームカウチの挑戦はこれからも続く。